市況かぶ全力2階建 様より引用 http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65889314.html ようは、当該組織にとって こんな大事な局面においても致命的に語彙ミスをシてしまうような、日本語を使うのが不自由な人が 自称”大津市民29人の原告”の中身なんだろうね。 火力発電稼働の燃料費 1日6億円×決定が覆るまで8ヶ月⇒1440億 1440億÷原告29人⇒49億/原告・人 国はもし仮に判決が覆ったなら、原告一人あたり50億の損害賠償を求めるべきでしょ これだけ実質的な被害が出てるんだから けど、こんな展開は絶対に無いんだろうな。 官僚や政治家の日本国家の利益を第一と考えたトップダウンのここまで大きな施策は絶対に起きない。 だからこそ、シンゴジラ は圧倒的なファンタジー映画でありえた。 シン・ゴジラにおいての最大のファンタジーは核熱源生物としての”ゴジラ”ではなく、上級国民であった旧世代の日本政治家や利権者が一掃され、日本再生へ”有能で熱意あふれる若手官僚”が台頭することにこそ その本質は存する。 庵野監督が自覚的にキャッチフレーズにしている通り 現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ) という構図は逆説的になっており 現実(ゴジラ) 対 虚構(ニッポン) という裏構造が映画構造の実質である。 偏執的なまでの集中的な官僚主義物語のリアルさ追求は、その実 日本官僚制度自体が途中から圧倒的ファンタジーへと演出されることへの周到な離陸準備である。 だからこそ、この映画において日本国民の大多数の深層心理としては、現状の日本は変わり得ない深い閉塞感に支配されている それを打破する手段としては、ゴジラがやってくるぐらいのファンタジー(超現実)しかない、と認識共有されている ため、ゴジラが光線熱源を放ち東京を焼き尽くした際の壮大なカタルシスが生まれ、強烈な快感装置として機能し得たのではないかと考えている。